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開教の由来
三五教旧本部正門(旧清水市)
霊学中興の祖といわれる本田親徳翁によって再興された、霊学による神懸り・鎮魂の作法は、長澤雄楯翁へと継承されました。
明治32年春、長澤翁が審神者となり、天宇受売大神の鎮まり給う月見里(やまなし)神社において神懸りの修行をされた折に、「今から50年後に三五と書いてあなないという世界的な宗教がここに生まれる」という神示がありました。縁あって長澤翁に師事、霊学を学んだ中野與之助開祖は、鎮魂帰神の神法伝授によって神人合一の道を感得し、人類の精神教化をはかることこそ世界を救済する道であることを確信。やがて長澤翁より霊学の奥義のすべてを伝授され、艱難辛苦の中に、更なる修行を経て開教したのが、奇しくも神示の通り、50年後の昭和24年4月4日でありました。
本田親徳翁(ほんだちかあつ)文政5年1月13日〜明治22年4月9日
明治時代の神道家。古代に存在した帰神の復元を図り、鎮魂帰神を中核とする本田霊学を確立
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